イエスキリストは生命のパン

この半年間で、ここ数年神様に言われて貯めていた数百万の貯金の半分ほどは全て教会のために配り、最後に生活のために残しておいたお金はカソリックとプロテスタントの双方の聖職者に借金の無心を依頼され、生活が苦しそうなので、たぶん返ってこないんだろうな…と思って貸したら案の定返ってこず、無一文になった。聖職者といえど人間って本当に愚かだなと思うし、同時に、そういう罪をも十字架の上で贖った主イエスキリストがいかに恵み深い存在であるかもしみじみと思う。これでいよいよイエス様の弟子として、本気で仕えることができる。すべてを捨てなければイエス様の弟子にはなれないわけで、誠にハレルヤでしかない。 このグラウンドゼロから、神様の栄光を現わしていきたい。アーメン!

「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭18:21-27‬ ‭新共同訳‬‬

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、
永遠の命を受け継ぐ。 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」」
マタイによる福音書 19:29-30 新共同訳

「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭14:25-33‬ ‭新共同訳‬‬

ただただ主にあって御言葉を生きます。御言葉は生命のパンであり、主イエスキリストの身体です。アーメン!

カテゴリー: 未分類 パーマリンク