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マンデラエフェクトで、聖書の聖句個所がたくさん変わっている?という質問について

聖書の聖句個所がたくさん変わっているんですか?という問い合わせが多数あり、見ていると、日本のニューエイジャーが作っているYouTubeの動画を共通して見られているようです。

神学的に考えれば、 聖書の御言葉は、永遠に変わることがないもの。それゆえもしその記述が変わっていたとするならば、マンデラエフェクト自体を起こしている霊が、悪霊からくるものであるということが判別できます。それゆえ神学的に非常に慎重に見ていかなければならない領域だといえます。

「こう言われているからです。 「人は皆、草のようで、 その華やかさはすべて、草の花のようだ。 草は枯れ、 花は散る。 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」

ペトロの手紙一 1:24-25 新共同訳

そしてその論点を踏まえた上で、指定の動画を検証してみたのだが、おそらく個人的にキリスト教への反感やある種の敵意を持っている方で、ちょっとあまりにも映像編集に悪意があったので、これはちゃんと正した方がいいのだろうと思い、また質問も増えてきたので、一覧して見られるように記載します。

欽定訳聖書の内容が1000か所以上変わっているというセンセーショナルなタイトリングの動画ですが、引用されているのは 1611年(日本でいうと江戸時代)に翻訳された欽定訳聖書(King James Version)。時代的にはちょうどシェイクスピアの時代。

基本的な聖書神学の知識と、中世の英語の教養(例えば、youがthyやthouと表現されたり、souldがshaltと表現されるなど)があると、わりとこの動画でいわれている指摘は、これらは 単純に 古語の知識不足からくるものだと客観的に判断できる。 1963年の新アメリカ標準訳聖書(ASV)日本語の新共同訳 口語訳などは変わっていません。

highway(街道)やmatrix(古語で子宮) alien(異邦人/外国人)table(石板)など挙げられている全ての例が 聖書に関わらず普通に使われる英語表現。日本でいうと江戸初期の翻訳の中に 現代のSF風なワードが使われていると感じて その異化的な作用から認知不協和が起きているのだと思います。

またそもそも聖書というのは原文が、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシア語になります。そこで、聖書の中身が変わっているとするならば、そもそも原典となるヘブル語やギリシャ語の写本全てが連携して変わることになるはず。もちろん日本語もそれに連動して変わります。(基本的にマンデラエフェクトの特徴は、オーストラリア大陸の移動のように歴史から何から完璧な形ですべてのものが連動して変わるので、ほかの要素との関連性に矛盾が生じないような変化となるはず)

しかし、むろんそうしたことは起きておらず、単なるこの方の中世の英語に対する(あるいは動画を見ていると、そもそも ルカ19章23節の銀行や利子の話 、 27節の終末の日の裁きの話 、タラントンやムナのたとえすら知らないという意味では、聖書の内容そのものへの)教養不足による誤解だということは、客観的に判断できます。

日本語の動画の編集自体に、おおもとの映像以上のメッセージを入れ込もうとする編集上の悪意を感じたのですが、アメリカの方のサイトを拝読したところ、悪霊の追い出しのミニストリーをされている方で、おそらく特定の教派の教会ではなく、牧している方のカラーが非常に出やすい単立教会。この方の見解では、マンデラエフェクトはCERNの書き換えが原因で 悪霊からの聖書への攻撃だということになっていました。しかし冷静に考えると上記の点においても、そもそも原典となるヘブル語や、ギリシャ語、もちろん日本語の他の言語を含めたものは連動して変わっているということはありませんでした。

しかし、興味深いことは、こうした発信源が、特定の悪意を持ってオリジナルの動画から再編集したものが 、さらに人の手に渡る中で、話が膨らんでいくこと。そして、「聖書の内容が変わった」という伝言ゲームをしてい人のほとんどが、そもそもほとんど聖書を読んだことのない、そもそもキリスト教に対して割と強い偏見を持ったニューエイジャーの方が多かったということ。

そもそも記憶が書き換わったということを証言するには、それ以前に読んで記憶があるということがマンデラエフェクトの実在を証言する前提なのですが、結局自分の記憶をもとにしていないため、どんどん伝言ゲームで話が大きく膨らんでいく、いわゆるニューエイジにありがちなエコーチェンバー型のカルト的言説になってしまってるようでした。

また、こうした伝言ゲームが執り行われていたプロセスで共通して感じるのは、おそらくキリスト教というもの自体に、よい印象をもっておられないのかな?という感じを受けます。

個人的には、これを機会に、ニューエイジという文脈を、客観的にメタ認知して知るためにも、聖書を読んでいただければな…と感じます。

また、ニューエイジ文化の危険性についても書いています。何よりも僕自身がニューエイジ文化のど真ん中にいましたから、 むしろ12年もの間ニューエイジ文化を積極的に引っ張っていた側の人間だったわけで、誰よりも罪が重く、むろんどんなニューエイジャーも裁くことはできないし、そもそも僕自身クリスチャンとしても、罪人でしかありません。今の自分の身において、そうした罪を贖ってくださった主イエスキリスト以外に、全く持って誇るところはないなと感じます。ただただニューエイジ文化の持つ危険性を知り、同時に福音の恵みを知っていただければ嬉しいなと思い、日々、証しています。

https://church360vr.com/?s=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8

主の平和がありますように、父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。

マンデラ大統領という偉大なクリスチャン

土曜日のパワーブレイクファーストにて、ご一緒させていただいている国際弁護士で、伝道師の佐々木満男先生。以前僕自身がニューエイジからクリスチャンへと、つまりイエス様へと召されたきっかけとなったマンデラエフェクトというひとつの徴についてお話したのですが、その後、先生も誠実にこの話に耳を傾けてくださり、今日はあるメッセージをいただきました。そもそもマンデラ大統領は非常に敬虔なクリスチャンです。このマンデラエフェクトという言葉自体に、敬虔なクリスチャンの名前が選ばれていること自体に主の御手、大いなる意図があるように感じます。

ふと、杉本さんの「マンデラ・エフェクト」について考えていたら、「マンデラ・サンクス」という言葉が思い浮かびました。「マンデラ感謝」という意味です。

マンデラ氏は南アのアパルトヘイト打倒の武力闘争派の指導者として捕まり、国家反逆罪で本来ならば死刑であるところを、裁判官が国際世論を気にして無期懲役刑に処せられました。海の孤島の刑務所に入れられたマンデラ氏は、釈放されるまでの27年間、毎日、朝起きてから寝るまですべてに感謝する生活をつづけたとある本に書いてありました。その結果、敵を愛し闘争をやめて赦す気持ちに変わり、出獄後は和解の道を歩みノーベル平和賞受賞後に南アの大統領になりアパルトヘイトは全廃されました。まさに「マンデラ感謝」の力です。

そこで、私も眠い頭で感謝をし始めました。感謝すればするほど感謝するべきことが思い浮かび、ノンストップになりました。そうしたら聖霊に満たされてきて、周囲が天国のように思えてきました。自然に顔がほころんで、何もないのにニコニコしたり、小さなことに笑いがこみ上げてきました。そして、自転車でふらっと夕食を食べに出かけました。道を歩く人々が愛おしく誰にでも挨拶したいような気分でした。餃子が食べたくなって原宿餃子に行くと長蛇の列です。あきらめて、たこ焼き屋に行こうと歩き始めたら、原宿餃子のマスターが中から出てきて、ニコニコして長蛇の列を無視して、そのまま私を招き入れ一人席に座らせてくれました。何か狐につままれたような感じでした。いつもは気難しいマスターが私をみて笑いながら挨拶をしてきました。そんなことは初めてです。餃子を食べてから、近くの喫茶店で眠気覚ましにコーヒーを飲んでいたら、女の店員さんが近寄ってきてニコニコしながら挨拶して話しかけてくれました。その店には何度も入っていますが、これも初めての体験です。

佐々木満男先生からのメッセージ

主にあって深く感謝します。
マンデラエフェクトはどうも色々な方の経験を見ていると、その時イエス様の臨在があるようなのですよね。どうも御國に招いているようにしか思えないのですよね。

その意味でもマンデラサンクスとは、主イエスキリストの臨在への感謝と賛美になりますね。アーメンです。

from 杉本譲治

聖職者の財政的問題

そもそも聖職者が元ニューエイジャーに生活苦から借金の無心を依頼しなければならない状況自体が、いかにいまの教会世界が弱ってしまっているかを物語っていると感じる。福音をしっかりと伝えて、信仰の回復とともに、聖職者がしっかりと盤石な経済的な基盤を持てるようになることは、リバイバルの基本になっていくと思う。クリスチャンにとって本来誇りの存在であるべき聖職者はあくまで、清貧であるべきであって、俗貧にさせてしまってはいけない。そのためには周囲の人間がしっかりとしないといけない。多分こうした教会特有の問題は僕だけじゃなく、あらゆる教会であるんじゃないかとも思う。高齢化が進む教会では、こういったことに直面するのは、おそらく僕だけでないだろう。そうやって、何も手を打てないまま、教会はすたれていくのだと思う。問題は必ず個人の資質以上に、置かれた環境やシステムによって作り出されるもの。これは経営コンサルタントとしての視点。そういう視点も、牧師先生方や多くのクリスチャンのために、VRなどを使って、今後しっかりとお伝えしていこうとしみじみと実感する出来事だった。

イエスキリストは生命のパン

この半年間で、ここ数年神様に言われて貯めていた数百万の貯金の半分ほどは全て教会のために配り、最後に生活のために残しておいたお金はカソリックとプロテスタントの双方の聖職者に借金の無心を依頼され、生活が苦しそうなので、たぶん返ってこないんだろうな…と思って貸したら案の定返ってこず、無一文になった。聖職者といえど人間って本当に愚かだなと思うし、同時に、そういう罪をも十字架の上で贖った主イエスキリストがいかに恵み深い存在であるかもしみじみと思う。これでいよいよイエス様の弟子として、本気で仕えることができる。すべてを捨てなければイエス様の弟子にはなれないわけで、誠にハレルヤでしかない。 このグラウンドゼロから、神様の栄光を現わしていきたい。アーメン!

「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭18:21-27‬ ‭新共同訳‬‬

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、
永遠の命を受け継ぐ。 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」」
マタイによる福音書 19:29-30 新共同訳

「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭14:25-33‬ ‭新共同訳‬‬

ただただ主にあって御言葉を生きます。御言葉は生命のパンであり、主イエスキリストの身体です。アーメン!