アダムの罪

最大のディザスターは、アダムの罪によって人類に死が忍び込んだこと。全ての天変地異の原因も霊的にはここにある。この鋳型はすでにノアの箱船などにも象徴されている。
今回の祈りの中で気づいたことは、マタイ8章23-27の嵐を鎮めるイエス様の話が、実は、バプテスマの鋳型になっているということ。てっきり主に依り頼むことが大事という意味でしか捉えていなかったが、よく考えたらこの聖書箇所は、ノアの箱船と水によるバプテスマの伏線が敷かれているのだと気づく。
さて、今回の厄災も、僕にはどこか日本全土が水によるバプテスマを受けたような気がしてならない。これからやってくる天の水は、霊的な注ぎ。霊による洗礼がリバイバルという形で日本にやってくるような気がしてならない。
ちなみにこの鋳型は新海誠監督作品の「天気の子」でも同様にシンボライズされている。あの映画は日本的汎神論との世界観とクリスチャン的世界観との架け橋として見ると非常にスッキリと読み解ける。
日本的汎神論とは里山自然崇拝であり、天気とは父なる神そのもの。つまり天気の子とは、神の子のこと。天の上の水、霊によるバプテスマ 、十字架の贖い(神社の鳥居と十字架はユダヤの過越の祭で繋がる)という視点から見ても、「君の名は」がそうであったように、ある種、預言的な作品になっているのだと思う。

「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭8:23-27‬ ‭新共同訳‬‬

カテゴリー: 未分類 パーマリンク