クリスチャニティのメタフレーム

クリスチャニティのフレームが馴染んできた。それ以前に取り組んできた物事も、さらに色々なメタフレームで見れるようになっていく感じだろうなと思う。特にビジネスの領域は、クリスチャニティのメタフレームがあることで、ビジネスセンスという非言語的な部分が非常に合理的に説明がつく。この辺りはクリスチャニティのフレームが馴染めば馴染むほどに、ウェーバーのプロ倫で論じられるように事業的センスの自己言及性はさらに高まっていくことになると思う。このメタフレームが入ることで、明らかに経営者としての意識の質は、大きく変わる。西郷隆盛をはじめとした明治の志士たちに倫理的、精神的中心を与え、その後稲盛和夫の経営哲学の中心ともなった「天啓愛人」も、クリスチャニティからきた教え。つまり経営哲学とクリスチャニティは非常に深い関係性がある。

経営哲学としての倫理学は無論のこと、波動は聖霊論で一貫して語れるし、ニューエイジにおける自己投資概念ももともとはマラキ書などをベースとした教会への献金が宗教改革で献金先が社会的外部資本に変わったことが挙げられる。自己投資という概念が成り立つのも、そもそも自己=神という信仰があるからであって、汎神論化する前の創造主と被造物という聖書的な理解を深めていけば、その歴史的ルーツに明らかに聖書的倫理観が背景にあることがわかってくる。

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