六本木や麻布のクラブカルチャー

おそらくキリスト教の日本におけるリバイバルが起こってくる中心の一つが、六本木や麻布といったいわゆる「ワルい」人にとっての憧れの街、そして彼らが集まるクラブミュージックなんじゃなかろうかと思う。イエス様は、我こそは義人だと思っている人に対して宣教したのではない。誰の目から見ても、罪人だと思える人たちと積極的に食事をしたし、今でいうAV女優や風俗嬢のような売春婦とともに時間を過ごて、無償の愛を伝え続けて、十字架の上でその人たちのためにも自分の生命を捨てた。
本当に救われるべき人たちは、僕のように占いにはまって、ニューエイジャーになってしまった人だけでなく(わりとこういう人はインテリが多いので自分のことをうっかり義人だと思い込んでいることが多い)、ドラッグをやっている人、犯罪者、風俗嬢など、人生の中で神の栄光に触れることができなかった人たちこそ、本当に意味でイエス様の愛に触れるべきだと思う。これは僕自身がよっぽどそうした人たちよりも、ずっと悪人であることを自覚しているからだし(頭のいい人間の方がよっぽどずる賢いし、自分の手を汚さず、人を蹴落として生きていく)、イエス様が僕のような悪人を一番嫌うことをよくわかっているからこそ。だからこそ悔い改めてクリスチャンになった。一人でも、神の愛を知らずに、苦しんでいる人に、福音を知ってほしい。神の途方もない愛を知ってほしいと感じる。

毀誉褒貶のあるヒップホップミュージシャンのカニエウェストの「ジーザスウェスト」の世界観もまさにこういう世界観。いわゆる教会音楽のゴスペル(ゴッド・スペル/神の言葉)は、当時の被差別層であった黒人音楽がルーツであるし、ニューエイジにおけるある種の讃美歌の位置に占めているビートルズの「imagine」も、当時のロックはあくまで力を持たない人々のためのオルタナティブな音楽だった。当時の社会的な弱者のための叫びに似た音楽という意味では、やはりヒップホップを置いて他にないだろうと思う。こうした文脈から新しい文化の「クール」が生まれてくるし、かっこいいということはどこか常に「悪い」部分があって、そうした「悪」に染まっている罪人こそ、イエス様の十字架において救われていく。これは人類の歴史が証明している確かな事実だ。

カニエウェストのジーザスウォークの日本語訳はこちらから

https://w.atwiki.jp/gachmuch/pages/1015.html

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