福音の種を蒔くこと

御言葉を伝えていくこと、福音宣教をしていくということは、素直に悔い改め、救われる方もいれば、聖霊に満たされ涙を流しながらイエス様に感謝を捧げる方もいる。福音を聞いたこときっかけにしてイエス様について考え始める方もたくさんいるし、また批判的に捉え拒絶したり、中には築いてきた関係性を切って去っていく方や嘲る方まで、色々な方々がいる。

また、この2週間だけでも、聖書の御言葉を通じて、夫婦の危機を乗り越え、離婚を踏みとどまった方が2組もいる。ニューエイジ的な思想のルーツはそもそも人間性回復運動や、ウーマンリブやペイガニズムなどの女神信仰にあるので、基本的な方向は、少しでも問題があれば、女性の社会的自立を勧め、離婚に舵を切るようなベクトルに向くことが非常に多い。僕自身もニューエイジ的な思想をベースにして、これまでに2度離婚を経験してきたからこそ、このことをメタ認知することも大切だなとしみじみと思う。

聖書を読み始めて、いかに自分がニューエイジ的な思想に染まっていく中で、日々消耗していたかに気づいて、驚愕する方も多い。

これは当時からそうだったわけで、何もいまに始まったことでは無い。僕にできることは、あくまで思惟への奉仕と証のみ。淡々と福音を伝えていくことが大事だなとしみじみと感じる。結局のところ福音が人を救う力は途方も無いものがあることをよく知っているので、パウロが「わたしは福音を恥としない」と語る通り、人生をかけて一貫性を持って伝えていくことが大事なんだと思う。

「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭1:16‬ ‭新共同訳

僕の周囲ではすでにありがたいことに、福音を知って、聖書を読み始める人も増えてきたし、福音の素晴らしさを知るとやはり今の時代にいかに必要なものかも深く感じ取っていただけている。

その中でつくづく思うことは、ニューエイジ 的な思想の問題点をメタ認知していない場合、種を蒔く人の茨のたとえのように、いくら福音の種が蒔かれても、茨が覆いかぶさり、実を結ばないなということ。

特に今の時代はGAFA自身がニューエイジ 的な設計思想に基づいて作られているので、その仕組みをメタ認知せずに、エコーチェンバー化の中にいると本当に気づきにくい。ある意味エコーチェンバー化は、種を蒔く人のたとえの中の「茨」のようなものだなと感じる。

この聖句は、種を蒔く人、すなわち福音を伝える人を励ますもので、種が身を結ぶかどうかは、種や種を蒔く人の責任ではないので、うまく実を結ばないからといって自分を責めずに、あまねく広く福音を伝えなさいと説いたイエス様の御言葉として有名。しみじみと奥が深いなと感じる。

「イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。 また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、 この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭4:1-9, 13-20‬ ‭新共同訳‬‬

カテゴリー: 未分類 パーマリンク