ジーザスとともに歩む道

今日は古くからの占星術師の友人と10年ぶりに会って、近況報告と同時に、なぜ占星術師を辞めて、クリスチャンになったのかという証をさせていただいた。その友人は、もともと占星術だけでなく、仏教などをはじめとした神学的な教養を持っている方なので、「ふむふむ」と静かに最後まで聞き手に徹して聞いてくださった。主が与えてくださった証であるマンデラエフェクトも、ほぼすべて共有ができ、また聖書の背景にある神学や、現代のニューエイジ信仰の危険性などもしっかりと耳をそばだてて、聞いてくださった。そして疑問点なども忌憚なくぶつけてもらって、それらも丁寧にお話をしていく中で、なるほどという形でいろいろキリスト教というものに関して持ちうる誤解も解けていった。2年半の証のほぼすべてを数時間の間に怒涛の如く話したので、聞いてくれた友人の方はものすごく大変だったと思う。しかし、聞き手としての平和な心と深い共感力、そして、抽象的な世界に対する理解力というたぐいまれなる賜物を持っていらっしゃり、もともと世界中を旅して、宗教的な造詣に深い方であったので、話し手としてはとても助かった。そして、この数年の中で証をしてきた方の中でも、僕が回心するにいたった道のりを最もよく理解していただけた方だったなとしみじみと感じた。 僕の冗長な、延々と続く小難しい話を、忍耐強く聞いてくださったのは、昔からともに合宿をしたりしながら学んだよき友人であるから、背景に深い信頼関係があるということも非常に大きかったと思う。そして、最終的には、聖書の中心的なテーマである「永遠の生命」や「キリストの復活」についても深く理解していただけた。それらすべて話し終わった時には、非クリスチャンから見ても、やはり聖書で啓示されている内容が、汎神論や、多神教といった、伝統的な日本の信仰形態という観点から見ても、一切の論理的な矛盾点がないという共通認識にも至った。さらにそこにマンデラエフェクトという共有できる種の栄光の徴が現れたことで、信じる信じない(これだとまだ背景に疑う姿勢がある)ではなく、もはやこれは主が与えてくださった所与のものとして「真実だと悟る」(もはやこれは真理として受け入れている)ことになって、占い師としてのキャリアや経済的な安定の全てを捨てて、クリスチャンになった(むろん経済的な安定などない)という人生の変容についても、僕自身の視点で追体験する形で理解していただけた。ありがたいことだ。そして、ここまで深くお伝えできても、決して僕には、人を回心させるような力は1ミリもない。こうして僕を語らせているのは、主イエスキリストであり、また、聖霊の働きなのだ。僕が、主に召され、それまでの全てを捨てて、100%クリスチャン、100%主イエスキリストの僕としていきるようになってから、できることといえば、思惟への奉仕、そして、証を続けていくこと。「何事にも時があり、天の下の出来事には定められた時がある。(中略)人が労苦してみたところで何になろう。私は、神が人の子らにお与えになった勤めを見極めた。神はすべてを時宜(じぎ)にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」(コヘレトの言葉3章1~11節)という御言葉がある通り、僕が体験したような回心を、今後もし聞いてくださった方がするとしても、それはあくまで神の御手によるものであって、伝道者の行いによるものではないということは大切なことだ。思惟への奉仕と証。伝道者にとって、その二つの神から与えられた役割以外については、全てを父と子と聖霊の働きに委ねることになる。ただただ僕は、主の僕(しもべ)であって、また同時に、話を聞いてくださるお相手の方の僕(しもべ)でしかない。この世界を造りたもうた創造主と、愛する人々に対して仕えること、そして、時に僕を迫害する人々にさえ仕えるということであっても、やはりそれは僕にとって心からの喜びである。本当に一人でも多く福音を知っていただくことで、「永遠の生命」を得て、この世界の万物を創造した主を褒めたたえる喜びを、伝えていけたら嬉しいなと思う。ジーザスとともに歩む道。主の平和があなたとともにありますように。父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。

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