クリスチャニティの倫理がもたらした資本主義の精神

クリスチャニティをベースにしたことで、わりと自由になった話題はお金の話題。ニューエイジ文化の中で、お金を語ることは、多くの場合すぐにマモン崇拝、サタンの誘惑が入り込むことになる。そもそも資本主義経済が発達するベースとなったのは、マックウェーヴァ―がいうように、カルヴァン主義にこそある。カルヴァン主義における予定説によって、禁欲と蓄財という宗教的には二つの相反する行いが、アウフヘーベンされる形で義とされた。これが、資本主義の倫理のコアとなる考え方。自分の十字架を背負わずに、事業をやったところで、価値なんか生み出せないし、そうやって生きる方法以外に多くの人に感動を与えたり、人を救うような、普遍的な価値は生まれない。わりと今の時代に危険なのは、ニューエイジ的な思想に基づいて自分=価値と考えることで、労働の負の効用に根差した確かな土台が無くなり、価値のインフレーションが起こりやすいということ。これはニューエイジ自体が、エゴのインフレーションに陥りやすいことと深く関係している。しかし、そもそもSNSを発達させていった現在のGAFAのような巨大企業自体が、ヒッピーカルチャーからの延長線上にあるニューエイジ文化に基づいて設計されているので、ここになかなか気づけないという問題をはらんでいる。SNS上で起こってきているエコーチェンバー型のカルトの問題は、こうした資本主義×ニューエイジ文化という中で起こるべくして起こっているバブル経済で、真理に基づかないこの構造は必ずバブルが崩壊する時が訪れることになると思う。その意味で、資本主義のコアの倫理観に基づいて、聖書を学ぶことは、中小企業の経営者にとっても、とても大事なことになるのだと思う。日本独自のマモン崇拝を離れて、確かな主をあがめること。これは自分の身を経済的に守るためにも、これからの時代とても大事なものになっていくだろうと思う。

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