当たり前の中にこそ、すごいものがある。

日頃あまり注目されないけれど
ある時とてもすごい価値をもっているということに
気づかされることというのは
しばしばよくあることです。
 
そう、「当たり前」の中にこそ
実はすごい可能性が秘められている
のではないかと思うのです。
 
日本に住んでいれば
日本語が話せたり
何千もある漢字を
そらですらすら書けるというのも
これは日本人の当たりまえ。
 
でも一歩海を越えて違う国に行けば
これはものすごい「特技」だともいえるし
時にはそれが
その人の「仕事」にさえなることもあります。
 
当たり前のなかに
すごいものがあるということは
こうして考えてみると色々あります。
 
ところで
私が日頃使っている西洋占星術は
こうした自分にとっての「当たり前」を
相対化して気づかせてくれるという
鏡のような機能が備わっています。
 
これは西洋占星術に限ったことではないですが
 
ある意味、占いって
自分にとっての「当たり前」のことを
(たとえば自分の性格や、好きなタイプの異性など)
あらためて違った観点
から気づかせてくれるという点が
大きな魅力の一つなのではないかと。
 
血液型の本が流行ったり
色々な占いが流行ったりするのも
 
もしかすると自分にとっての
「当たり前」なことを
あらためて相対化して気づかせてくれるという
共通した魅力的な仕組みがあるからかもしれません。
 
ところで、
この「当たり前」のことに関してですが
私たちが毎日を過ごしていて
一番見えにくいというか
一番当たり前に存在しているものって
何かなと考えてみたら
 
それは私たちが
「生きている」
ということではないかと思います。
 
この世界には
(少なくとも目に見える存在としては)
生きている人しか存在していません。
 
私たちが日本で日本語を話すように
毎日呼吸し、毎日寝て、
毎日話し、そうして毎日
当たり前に暮らしています。
 
でも本当は
この当たり前に生きているということは
 
いままで話したような意味でいうと
実はものすごいこと、
ある意味とんでもない奇跡的なことだったりも
するのないかとも思うのです。
 
あらためて考えるに
 
私が西洋占星術にひかれ続け
そして仕事としても続けている理由というのは
こういう部分にもあるのかもしれないなと思います。
 
西洋占星術は、
一人一人違った星の配置があり
それは一人一人違った個性を持っていることを示唆し
 
そしてその違った個性に基づく
それぞれの「生きる」リアリティ
それぞれの「幸せ」それぞれの「愛の形」が
存在していることを
 
星の配置、星の象徴を通じて
表現しています。
 
占星術は過ぎ去っていく毎日のなかに存在する
「生きる」という現象を
夜空の星の象徴を通じて相対化することで
 
そこに存在する「生きる」というリアリティに
あらためて気づかせてくれる
そんな魅力を持っています。
  
占星術の世界が
科学的な事実かどうかはさておき
(というか占いで表現される世界は
決して科学的な事実では全くもってないのですが)
 
私はそうした西洋占星術の持つ
毎日の生活を星の象徴を通じて相対化させる
「鏡」のような機能に
強い魅力を感じるのですよね。
  
当たり前の中にこそ、すごいものがある。
 
と冒頭で書きましたが
 
私が占星術に携わる理由はきっと
 
「生きている」という私たちにとって
あまりにも身近すぎて認識しにくいリアリティを
星の象徴を通じて改めて相対化し
 
当たり前にすぎていく日常的な生活に
新しい生命を吹き込む
「鏡」としての機能に
魅力を感じるからだと思います。 
 
あたりまえの人生
あたりまえの自分を
 
特別な人生
特別な自分であることを教えてくれる
 
ひとつの鏡
 
それが西洋占星術なのかなと思います。
 
私が西洋占星術の勉強や仕事を
長く続けている魅力の一つには
こうした部分にも
あるのかもしれません。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク