最近のTwitterの投稿まとめ(2019年12月1日~8日) vol.02

最近のTwitterの投稿まとめ(2019年12月1日~8日) vol.01

ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.01

この1ヵ月半ほど、Twitterを中心として発信していたため、こちらに1ヵ月半のメッセージを掲載します。ちょっとブログのブランクがあきすぎましたね。申し訳ありません。

ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.02

ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.03

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ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.19

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ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.23


ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.24

ここ一か月半ほどのTwitterの発信のまとめ vol.25

マンデラエフェクトで、聖書の聖句個所がたくさん変わっている?という質問について

聖書の聖句個所がたくさん変わっているんですか?という問い合わせが多数あり、見ていると、日本のニューエイジャーが作っているYouTubeの動画を共通して見られているようです。

神学的に考えれば、 聖書の御言葉は、永遠に変わることがないもの。それゆえもしその記述が変わっていたとするならば、マンデラエフェクト自体を起こしている霊が、悪霊からくるものであるということが判別できます。それゆえ神学的に非常に慎重に見ていかなければならない領域だといえます。

「こう言われているからです。 「人は皆、草のようで、 その華やかさはすべて、草の花のようだ。 草は枯れ、 花は散る。 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」

ペトロの手紙一 1:24-25 新共同訳

そしてその論点を踏まえた上で、指定の動画を検証してみたのだが、おそらく個人的にキリスト教への反感やある種の敵意を持っている方で、ちょっとあまりにも映像編集に悪意があったので、これはちゃんと正した方がいいのだろうと思い、また質問も増えてきたので、一覧して見られるように記載します。

欽定訳聖書の内容が1000か所以上変わっているというセンセーショナルなタイトリングの動画ですが、引用されているのは 1611年(日本でいうと江戸時代)に翻訳された欽定訳聖書(King James Version)。時代的にはちょうどシェイクスピアの時代。

基本的な聖書神学の知識と、中世の英語の教養(例えば、youがthyやthouと表現されたり、souldがshaltと表現されるなど)があると、わりとこの動画でいわれている指摘は、これらは 単純に 古語の知識不足からくるものだと客観的に判断できる。 1963年の新アメリカ標準訳聖書(ASV)日本語の新共同訳 口語訳などは変わっていません。

highway(街道)やmatrix(古語で子宮) alien(異邦人/外国人)table(石板)など挙げられている全ての例が 聖書に関わらず普通に使われる英語表現。日本でいうと江戸初期の翻訳の中に 現代のSF風なワードが使われていると感じて その異化的な作用から認知不協和が起きているのだと思います。

またそもそも聖書というのは原文が、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシア語になります。そこで、聖書の中身が変わっているとするならば、そもそも原典となるヘブル語やギリシャ語の写本全てが連携して変わることになるはず。もちろん日本語もそれに連動して変わります。(基本的にマンデラエフェクトの特徴は、オーストラリア大陸の移動のように歴史から何から完璧な形ですべてのものが連動して変わるので、ほかの要素との関連性に矛盾が生じないような変化となるはず)

しかし、むろんそうしたことは起きておらず、単なるこの方の中世の英語に対する(あるいは動画を見ていると、そもそも ルカ19章23節の銀行や利子の話 、 27節の終末の日の裁きの話 、タラントンやムナのたとえすら知らないという意味では、聖書の内容そのものへの)教養不足による誤解だということは、客観的に判断できます。

日本語の動画の編集自体に、おおもとの映像以上のメッセージを入れ込もうとする編集上の悪意を感じたのですが、アメリカの方のサイトを拝読したところ、悪霊の追い出しのミニストリーをされている方で、おそらく特定の教派の教会ではなく、牧している方のカラーが非常に出やすい単立教会。この方の見解では、マンデラエフェクトはCERNの書き換えが原因で 悪霊からの聖書への攻撃だということになっていました。しかし冷静に考えると上記の点においても、そもそも原典となるヘブル語や、ギリシャ語、もちろん日本語の他の言語を含めたものは連動して変わっているということはありませんでした。

しかし、興味深いことは、こうした発信源が、特定の悪意を持ってオリジナルの動画から再編集したものが 、さらに人の手に渡る中で、話が膨らんでいくこと。そして、「聖書の内容が変わった」という伝言ゲームをしてい人のほとんどが、そもそもほとんど聖書を読んだことのない、そもそもキリスト教に対して割と強い偏見を持ったニューエイジャーの方が多かったということ。

そもそも記憶が書き換わったということを証言するには、それ以前に読んで記憶があるということがマンデラエフェクトの実在を証言する前提なのですが、結局自分の記憶をもとにしていないため、どんどん伝言ゲームで話が大きく膨らんでいく、いわゆるニューエイジにありがちなエコーチェンバー型のカルト的言説になってしまってるようでした。

また、こうした伝言ゲームが執り行われていたプロセスで共通して感じるのは、おそらくキリスト教というもの自体に、よい印象をもっておられないのかな?という感じを受けます。

個人的には、これを機会に、ニューエイジという文脈を、客観的にメタ認知して知るためにも、聖書を読んでいただければな…と感じます。

また、ニューエイジ文化の危険性についても書いています。何よりも僕自身がニューエイジ文化のど真ん中にいましたから、 むしろ12年もの間ニューエイジ文化を積極的に引っ張っていた側の人間だったわけで、誰よりも罪が重く、むろんどんなニューエイジャーも裁くことはできないし、そもそも僕自身クリスチャンとしても、罪人でしかありません。今の自分の身において、そうした罪を贖ってくださった主イエスキリスト以外に、全く持って誇るところはないなと感じます。ただただニューエイジ文化の持つ危険性を知り、同時に福音の恵みを知っていただければ嬉しいなと思い、日々、証しています。

https://church360vr.com/?s=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8

主の平和がありますように、父と子と聖霊の御名においてお祈りいたします。アーメン。

マンデラ大統領という偉大なクリスチャン

土曜日のパワーブレイクファーストにて、ご一緒させていただいている国際弁護士で、伝道師の佐々木満男先生。以前僕自身がニューエイジからクリスチャンへと、つまりイエス様へと召されたきっかけとなったマンデラエフェクトというひとつの徴についてお話したのですが、その後、先生も誠実にこの話に耳を傾けてくださり、今日はあるメッセージをいただきました。そもそもマンデラ大統領は非常に敬虔なクリスチャンです。このマンデラエフェクトという言葉自体に、敬虔なクリスチャンの名前が選ばれていること自体に主の御手、大いなる意図があるように感じます。

ふと、杉本さんの「マンデラ・エフェクト」について考えていたら、「マンデラ・サンクス」という言葉が思い浮かびました。「マンデラ感謝」という意味です。

マンデラ氏は南アのアパルトヘイト打倒の武力闘争派の指導者として捕まり、国家反逆罪で本来ならば死刑であるところを、裁判官が国際世論を気にして無期懲役刑に処せられました。海の孤島の刑務所に入れられたマンデラ氏は、釈放されるまでの27年間、毎日、朝起きてから寝るまですべてに感謝する生活をつづけたとある本に書いてありました。その結果、敵を愛し闘争をやめて赦す気持ちに変わり、出獄後は和解の道を歩みノーベル平和賞受賞後に南アの大統領になりアパルトヘイトは全廃されました。まさに「マンデラ感謝」の力です。

そこで、私も眠い頭で感謝をし始めました。感謝すればするほど感謝するべきことが思い浮かび、ノンストップになりました。そうしたら聖霊に満たされてきて、周囲が天国のように思えてきました。自然に顔がほころんで、何もないのにニコニコしたり、小さなことに笑いがこみ上げてきました。そして、自転車でふらっと夕食を食べに出かけました。道を歩く人々が愛おしく誰にでも挨拶したいような気分でした。餃子が食べたくなって原宿餃子に行くと長蛇の列です。あきらめて、たこ焼き屋に行こうと歩き始めたら、原宿餃子のマスターが中から出てきて、ニコニコして長蛇の列を無視して、そのまま私を招き入れ一人席に座らせてくれました。何か狐につままれたような感じでした。いつもは気難しいマスターが私をみて笑いながら挨拶をしてきました。そんなことは初めてです。餃子を食べてから、近くの喫茶店で眠気覚ましにコーヒーを飲んでいたら、女の店員さんが近寄ってきてニコニコしながら挨拶して話しかけてくれました。その店には何度も入っていますが、これも初めての体験です。

佐々木満男先生からのメッセージ

主にあって深く感謝します。
マンデラエフェクトはどうも色々な方の経験を見ていると、その時イエス様の臨在があるようなのですよね。どうも御國に招いているようにしか思えないのですよね。

その意味でもマンデラサンクスとは、主イエスキリストの臨在への感謝と賛美になりますね。アーメンです。

from 杉本譲治

聖職者の財政的問題

そもそも聖職者が元ニューエイジャーに生活苦から借金の無心を依頼しなければならない状況自体が、いかにいまの教会世界が弱ってしまっているかを物語っていると感じる。福音をしっかりと伝えて、信仰の回復とともに、聖職者がしっかりと盤石な経済的な基盤を持てるようになることは、リバイバルの基本になっていくと思う。クリスチャンにとって本来誇りの存在であるべき聖職者はあくまで、清貧であるべきであって、俗貧にさせてしまってはいけない。そのためには周囲の人間がしっかりとしないといけない。多分こうした教会特有の問題は僕だけじゃなく、あらゆる教会であるんじゃないかとも思う。高齢化が進む教会では、こういったことに直面するのは、おそらく僕だけでないだろう。そうやって、何も手を打てないまま、教会はすたれていくのだと思う。問題は必ず個人の資質以上に、置かれた環境やシステムによって作り出されるもの。これは経営コンサルタントとしての視点。そういう視点も、牧師先生方や多くのクリスチャンのために、VRなどを使って、今後しっかりとお伝えしていこうとしみじみと実感する出来事だった。

イエスキリストは生命のパン

この半年間で、ここ数年神様に言われて貯めていた数百万の貯金の半分ほどは全て教会のために配り、最後に生活のために残しておいたお金はカソリックとプロテスタントの双方の聖職者に借金の無心を依頼され、生活が苦しそうなので、たぶん返ってこないんだろうな…と思って貸したら案の定返ってこず、無一文になった。聖職者といえど人間って本当に愚かだなと思うし、同時に、そういう罪をも十字架の上で贖った主イエスキリストがいかに恵み深い存在であるかもしみじみと思う。これでいよいよイエス様の弟子として、本気で仕えることができる。すべてを捨てなければイエス様の弟子にはなれないわけで、誠にハレルヤでしかない。 このグラウンドゼロから、神様の栄光を現わしていきたい。アーメン!

「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭18:21-27‬ ‭新共同訳‬‬

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、
永遠の命を受け継ぐ。 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」」
マタイによる福音書 19:29-30 新共同訳

「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭14:25-33‬ ‭新共同訳‬‬

ただただ主にあって御言葉を生きます。御言葉は生命のパンであり、主イエスキリストの身体です。アーメン!

最新のVR(仮想現実)技術を用いた聖書入門講座

「あの分厚い聖書をどのように読めばいいのか?」
これはイエス様を理解する上でも、まず最初に誰しもが
ぶつかる普遍的な課題なのではないかと思います。

このテーマに関しては、これまでも
詳しくお伝えしてきましたが、
やはり「百聞は一見に如かず」で、
実際に僕が講座の中で語る様子を見て、
体験していただいた方が、より伝わりやすいものだと感じておりました。

そこで、今回最新のVR(仮想現実)技術を用いて、
まるでその場にいるかのように360度の映像の中で、
僕の講座を受けられるバーチャル教室を
ウェブサイト上に作りました。視聴はもちろん無料です。

VR/2D版「初めて聖書を読む方へ」
https://church360vr.com/vrbiblestudy

【大リバイバルの兆し】豪華俳優陣による「聴くドラマ聖書」が話題沸騰

今日は、クリスチャンの世界の中で
話題沸騰となっている新しい聖書アプリをご紹介します。

それが、iOS/android両対応の「聴くドラマ聖書」です。

これまでも、新約聖書のイエス様が宣教された姿
(マタイ/マルコ/ルカ/ヨハネの4つの福音書)を
聖書の一言一句をもらさずに映像化したコンテンツをご紹介しましたが、
https://church360vr.com/matthew

今回登場したアプリはなんと、新旧両訳聖書の全てを、
テレビや舞台の第一線で活躍されている
著名な俳優さんや女優さん、声優さんが、
最新の翻訳である新改訳2017年版に基づいて、
オーディオドラマとして完成させたもの。
こちらも特定の宗派に所属しない超教派の団体が、
完全無料で制作・リリースしたものになります。

主要なキャストをご紹介すると、
大和田伸也(神役)
井上芳雄(イエス役)
奥田瑛二(イザヤ役)
加藤雅也(モーセ役)
南沢奈央(マリア役)
藤田朋子(ルツ役)
つるの剛士(マタイ役)
川崎麻世(ヨハネ役)
(敬称略)

といった豪華なキャストが表現豊かなオーディオドラマで
聖書の全てを一言一句もらさずに演じていきます。

▼メイキング映像も非常に魅力的です
https://www.youtube.com/watch?v=iO1TU8U59fo

百聞は一見に如かずなので、
ぜひダウンロードして体験してみてくださいね。

聴くドラマ聖書公式サイト
https://graceandmercy.or.jp/app/

聴くドラマ聖書(iOS版)のダウンロードはこちら
https://church360vr.com/audiobibleios

聴くドラマ聖書(android版)のダウンロードはこちら
https://church360vr.com/audiobibleandroid

毎週土曜日のパワーブレークファーストの集いのお知らせ

毎週土曜日の朝9時~11時に、六本木グランドハイアットホテルのフレンチキッチンにて、国際弁護士の佐々木満男先生や、作家で牧師のジョセフケン先生をはじめとした、熱きリバイバリストたちに会って親交を深められる朝食会(パワーブレークファースト)を開催しています。

事の始まりは、ビジネスマンに向けた福音伝道を趣旨として創立されたINTERNATIONAL VIP CLUBの活動の一環として、第1・3・5土曜日の隔週での開催で、これまでも16年間開催されてきた佐々木満男先生が主催する朝食会に、私自身が参加させていただいたことがきっかけ。

ある時、牧師のケンジョセフ先生とお話しているときに、聖霊の注ぎによって意気投合し、いつもは開催していなかった第2,4土曜日も、ケンジョセフさんと私は出席し(つまり毎週出席して)毎週必ず集えるようにしましょう!ということになったことで、この会が毎週開かれることになりました。

参加をご希望の方は下記の予約フォームからお申込みください。参加費は無料で、飲食費のみ各自実費精算(コースではないのでお食事をされる方は数千円程度/飲み物だけであれば千円程度)となります。

VR/2D版「初めて聖書を読む方へ」をお届けします

VR版「初めて聖書を読む方へ」

スマホを使ったVRでの視聴方法はこちらの動画や、解説ページからご覧ください。

VRゴーグルはAmazon.comで2000円程度で購入できます。

2D版はこちらからご覧いただけます。

ハレルヤでアーメンな日々において

僕も含め周囲のリバイバリストの周りの人たちにイエス様への信仰に回心する人たちが増えてきた。ハレルヤでアーメンな時が来ているよ。リバイバルってのはこうやってやってくるんだね!ジーザスクライスト!!ハレルヤ!!アーメン!!

リバイバルの基本

ようはジーザスはハレルヤでアーメンなお方なんだよね。これがリバイバルの基本。

リバイバリスト

牧師や伝道師や教師、使徒や預言者というよりも、ようはリバイバリストというのが一番正確なのかもね。概念としてのレイヤーがひとつ層が違う。
そういう意味で今身の回りにいる人々は、リバイバリストだわ。アーメン!

「またか」「落ち着け」という反応について

伝道というレイヤーよりも、やはりリバイバルというレイヤーなんだよね。より大きなマスがシステムとして動く時代。
逆にリバイバルっていうとわりと教会の内側では「またか」「落ち着け」的な感じなんだけど、これからやってくる信仰回復運動ってそういうものでもない気がする。明らかにこれまでの霊的な傾向とは変わってきている気がする。聖霊の注ぎと、あとはテクノロジーの適応。この辺りの霊的環境、社会的環境、情報環境などがいい感じに準備が整っている気がする。

逆に最初に「またか」「落ち着け」という人ほど、むしろ昔にリバイバルに燃えた方々が多いので、結果的に話して行く間に、燃えていかれる傾向がある。結局のところイエス様と聖霊様、そしてお父様がそれをなさるのだと思う。

テクノロジーと宗教改革

VR伝道とリバイバルって何も今始まったわけではなく、そもそも宗教改革の際の活版印刷がまさにこれだった。当時の活版印刷はまさに教会権力を介在せずに、直接イエス様と出会う画期的な技術だった。テクノロジーとリバイバルは常に表裏一体の関係性にある。

「ゴッドファーザー」とクリスチャニティの精神

映画「ゴッドファーザー」の中でさえクリスチャニティ の精神は現れる。否、正確にはマフィア映画の「中だからこそ」と言ったほうがいい。クリスチャニティ は自らを義人と思う人のためのものではなく、罪人のための教えだからだ。どんな悪人においても、人格の上に人生を積み上げていける理由は、イエス様の十字架の贖いという霊的な儀式の執り行いがあるからだ。そもそもゴッドファーザーという言葉や概念自体が、カソリック の洗礼式の習慣から来ている。
マーロンブランド演じるヴィトーコルレオーネは、正義を「戦いのなかで振りかざす剣」と捉えず、「平和のうちに撒く種」と捉えた。それゆえ人々は彼の蒔く正義という種に従った。父親の正義を、戦いの中で振りかざす剣として捉え始めた段階で、アルパチーノ演じるマイケルはどんどん転落していくことになる。
いまの50代以降の方々が口々に言う「昭和の大物像」はまさにこのヴィトーコルレオーネが示す元型そのものである。そこにはすでにどんな罪人でも十字架の贖い故に義とされる神の慈しみ深き愛と、平和のなかに蒔かれる正義の種という共通する性質がある。現代的ポリコレや、ニューエイジ 思想のなかで小さくまとまった自己義認の器とは大きく異なる。その背景にはやはり主イエスキリスト がおられる。アーメン。

「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。」
(ヤコブの手紙 3章18節 新改訳2017)

結局こういう作品の中に現れるような人間的な「器」こそ、経営者に求めらられる資質になるのだと思う。こういう失われてしまった精神を僕の世代から復興していくことが、リバイバルだといえる。アーメン。

私のために死んでくださった神

八百万の神々の国といえど、世界を創造した神ご自身であるにもかかわらず、さらには自らを最も低くし、すべての人の僕(しもべ)となり、私たち一人一人の罪を贖うために死んでくださった神はイエスキリストのほかにいない。クリスチャンの信仰の本質はここにある。こうした本質があったからこそ、当時の異邦人(非ユダヤ人たち)であるギリシャやローマの人々もギリシャ/ローマ神話を離れてまで、イエスキリスト に従った。むろんギリシャやローマにも、世界を創造した神が、すべてに人の僕(しもべ)となって、死んでくださったという神学的構造は存在しない。アーメン。